他社ブログからの引っ越しです…よろしくお願いします
国内移動(その1)

早朝の地下鉄…乗客は少なし

「今回は私の出番か…海外旅行編は対象外だと思っていたのだが」
「いや…それにしても寒い」


空港シャトルバスの切符売り場

空港までのバス待ちの客

「ん? 予定通りここでの集合予定者がいるようだ…」
「一列横隊!! 点呼!!」

「1!」

「にゃ~!」


「誰だ!! いまドリフのような間の抜けた応答をした者は!!」


「隊長殿!! 我が輩は猫ですから、仕方ありませんにゃ~!!」
ローリング・サンダー作戦
(第5回目)

北ベトナムのMig-21
(画像は英語版ウィキペディアより)
ローリング・サンダーは1967年から1968年の作戦拡大に伴い、最終ステージへと以降した。
米空軍の北ベトナムに対する主要な目的は、絶え間ない定期爆撃により北ベトナムの物資供給ルート及び戦争遂行ための社会インフラを破壊することであった。
1965年時点で、北ベトナムは36機のMig-17とほぼ同数のパイロットを保有していた。そして1968年までには、180機のミグと72人のパイロットを有するまでになっていた。
これに対してアメリカ側には少なくとも、200機の空軍F-4、140機の空軍F-105、そしてトンキン湾から出撃する100機の海軍機(F-8、A-4、F-4)に加えて、多数の支援機があり、圧倒的に有利な立場にあった。
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北ベトナムのMig-17
(画像は海外サイトより)
多数の米軍機が対空砲による撃墜で損耗を続け、空軍機のF-105や海軍機のA-4スカイホークは、地対空ミサイルやミグと遭遇する頻度が向上していた。
また、紅河エリアに対するアメリカ側のレーダー探索網は限定されていたため、空中早期警戒では低空域の敵戦闘機を探知することが困難であり、ミグの奇襲攻撃を招くことがあった。
北ベトナム空軍は、自軍のパイロットに対して上質な戦闘マニュアルを配布していた。
マニュアルが示す手法は、一撃高速離脱によって米軍機編隊に臨むものであった。それは通常は、Mig-17編隊が敵編隊に対して真正面から攻撃をおこない、Mig-21編隊が敵編隊後方から攻撃を実施するものであった。
これにより米軍機を数機撃墜すれば、F-105のうちの何機かに対しては、爆撃目標に到達する前に爆弾を投下して、回避行動への移行を強いることができた。ミグは同じ手法での再攻撃を実施せずに、早急にその空域から離脱をした。
これにより、この「空におけるゲリラ戦」が輝かしい成功であることが実証された。

「私に相応しい機体はF-4かな? それともF-105かな?」
ローリング・サンダー作戦
(第4回目)

「アニメで見るローリング・サンダー作戦だぞ~」

(画像は海外サイトより)

右がジョンソン大統領、
(画像は海外サイトより)

(画像は海外サイトより)

トンキン湾の米空母は「ヤンキー・ステーション」と呼ばれていた
(画像は海外サイトより)

(画像は海外サイトより)

どこかの米空軍基地(タイ?)
(画像は海外サイトより)

上がA-4スカイホーク
下がF-105サンダーチーフ
(画像は海外サイトより)

A-6イントルーダー
(画像は海外サイトより)

北ベトナムのSAM陣地
(画像は海外サイトより)

ソ連製地対空ミサイルS-75
(画像は海外サイトより)

対空砲の充実??
(画像は海外サイトより)

(画像は海外サイトより)

ときには北ベトナムの迎撃編隊も…
(画像は海外サイトより)

Mig-21
(画像は海外サイトより)

空中戦
(画像は海外サイトより)

「空中戦なら私の得意分野だぞ~」
◎ You Tubeより
→ 続き
Author:空軍少尉エルザ
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